Sunday 25 September 2011

There will be always something lost in translation


 何かと気の滅入る午後なのでシャーロックを見返している。

音声切替を使うと録画したものでも英語で聞けることを、今日ようやく取説引っぱりだして確認して、英語で聞いている。
しかし、シャーロックの早口英語は手強い。英語字幕ほしい。

ああ、でも、
「英語でこう言っていることを、日本語にこう変えたんだな」
っていうのを発見していくのが、すごく面白い。
大体、こういう話題で皆が言うのが、いかに翻訳がまずいかとか、せっかくの凝った言い回しが落ちてるとか、そういう批判ばかりなんだけど、私は滅多にそういう感想は持たない。
そりゃたまには、さすがに文句言いたいものもあるけど、たいていの吹き替え原稿や字幕翻訳は、がんばっている。
異なる感性から生まれた言葉が、そのままストレートに交換できるわけがないので。
翻訳すれば、いろいろなものが落ちる。原語ならではの良さも失われる。それは必然だ。
落ちたものを補う方法は、訳者によって違うだろう。人によって違うから、そこはもう補わないという選択肢もありえる。
それは仕方のない事だ。

だから、私は、上手く置き換えられている方にむしろ目が行く。
なるほど、こういう日本語に当てはめたのか、なるほどね。
これは上手いなぁ、アートだなぁ、と感心するものもよくある。
翻訳を担当した人たちの、工夫とか、苦労とかが、変換された言葉から見えてくるような気がするのだ。

そういうのに気づくのが、めちゃめちゃ楽しい。

アートだと思うんだ。ほんとに。

私もがんばりたいなぁ。そういう風になりたいなぁ。

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